ドクトル・ルー通り3番地のアトリエハウス
【近況】
●2016年6月3日~9月19日
ロワール河ビランドリー城
「アカギ版画パリ百景」展(フランス)
●2016年9月21日~27日
三越日本橋本店美術画廊
「画業60年赤木曠児郎展」
会場に出席しています。
● 2016年10月12日~16日
サロンドートンヌ展出品(パリ)
≪書籍・作品集≫
●『アカギのパリ画集 Ⅴ
素描原画五の巻』
マリア書房(京都)18,000円(税込み)
208ページ 画集
ISBN-978-4-89511-231-4
●『アカギの版画パリ百景』
マリア書房(京都)
1,260円(税込み)
一部大手書店に出ていますが、個展会場で販売予定。
●「私のファッション屋時代」
新書版(展覧会場にて受注)
[日本語版]
講談社第一出版センター制作2002年
[フランス語版]
パリ・ボークレール出版制作2010年
2016年8月10日
「エッフェル塔型スタイル花火誕生」
暑かった終戦の夏の年を思い出しながら、天皇の放送を聞いた。何時の頃からか、再び日本では陛下とか、小さな子供にまでさまとかつけなければならないように、自然にまた変わっている。フランス語では「アキヒト」、これで尊称なのである。ムッシューやサーも、何にも要らない、日本人には名前の呼び捨てのようで、まことに具合が変なのだが。
「素人は口出すな」、「専門家に任せておけ」、「無知な発言をすると恥ずかしい」、「聞き上手」、などは日本人の常識である。これで社会が収まってきたのだが、全然通用しないのが広い世界で、何にでも口を出して自己の存在を目立たせて主張、自分の意見を発言しないのは存在しないのと同じこと、本人のレベルが足りないのか、無能なのかと見做される、フランスのような社会常識もあるのである。逆に日本人社会の間では、求めもされないのに自分が、自分がと主張する人は、煩がられてはみ出してしまうのであるから、スッカリ逆でなくてはならないのだから、国際社会の寄り集まりの時には、何時も口惜しく感じる。外国語や英語を習うより、何より、この根性が要求されるので、ただしそんな人は、日本人の間では鼻摘みな人に違いない。これから国際世界で立ち回って行くためには、まず過去の日本人の文化の美点を捨てて、このように変わって行くのか、行かねばならないのか、非常に興味があるのである。
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