ドクトル・ルー通り3番地のアトリエハウス
「失言?」
来年、冬期オリンピックの会場となる黒海沿岸のロシアの温泉都市、ソチに行ける便があったので巡って来た。どうせソチ、ソチと皆が騒ぐに違いないから、どんなところか先に見ておきたかったのである。港を浚渫したり、一斉に工事中であった。郊外にスターリンの愛した大きな別荘が、こんもりと静かにあって、現在は公開されている。執務室も見せられるが、後ろ一面に世界地図、右端に日本があるが国境線は、北海道の沿岸に沿い、北方四島は明確にロシア領、返す気なんか毛頭ないのだと、目に焼き付いた。スターリンも暗殺を恐れ、過ごす部屋は決めないで、毎日転々と変えていたと言う。
ついでに同じ黒海沿岸の、現在はウクライナ共和国になっているヤルタに寄る。郊外にロシア皇帝が建てていた、リバディア宮殿と言う別荘があって、ここは1945年2月8-11日に、ルーズベルトと、チャーチル、スターリンの3人が、4日間集まって、降伏間近のドイツ分割と、まだ戦う日本の処理を話し合った場所だ。その華麗な部屋も、調度も残されて見学できる。ここでルーズベルトとチャーチルが、ドイツとの戦いでもう力が残っていないと言うスターリンに、終結のために日本への参戦を頼んだのだと説明される。それから、米国による日本市民への無差別空爆、最後原爆投下のあとたった半年間だったのだと、気持ちの動揺は抑えられない。私も焼夷弾の降り注ぐ中を、防空頭巾かぶって逃げ回った一人なのである。
2013年8月11日 赤木 曠児郎
page3/3
≪BACK