パリの街灯(3)
 

「万聖節のころ」

 フランスに中国と日本から、菊の花が紹介されたのはフランス革命の直前1789年、ある大尉が中国からマルセイユに種を持ち込んだのが始めてだったとか、続いてナポレオンも没落した後の1826年に、ツーロンの軍港に別の大尉が東洋からまた持ち込んだという説もある。菊は実生の他に、根分けとか、さし芽で増やしてゆくのだが、園芸業者がちょうど第一次大戦の終わった頃、折からの戦死者が激増、不幸にも需要も激増、丈夫で長持ちする花と売り出して、菊の鉢は墓地用の花とフランスでは定着してしまい、日本でチョコレートが2月のバレンタインデーに定着しているように、フランスでは11月1日が菊なのである。
 菊に関する直接体験した思い出話しを二つ。
 ユーベール・ド・ジバンシー氏の一行と招かれて同行、日本で30周年行事のイベントに行った時のこと。今はブランドマークだが、まだあの頃は兄弟で経営の高級裁縫店だった。間に入っていて、いろいろと日本との間のことを手伝っていたので、家内共々日本に行ったのである。ホテルに泊まった翌朝、マネージャー役の兄ジバンシーから、デザイナーで社長の弟が「夕べは棺桶の中にいるようで、眠れなかったと、弟が言っている」 と相談され、行ってみたら関係者や地元のファンから歓迎の贈り物に、折から秋、見事な菊の花が部屋中あふれるように一杯で、早速に整理したのだった。

BACK NEXT

page2/3