ベルギー・プチレッツの城
 

「万聖節のころ」

 まだパリに行く前、東京で洋服デザイナーの卵のような駆け出し時代、所属するデザイナー団体でパリの有名なオート・クチュール・デザイナーのジャック・グリッフ氏を技術講習に招いた。マネージャー、同行記者の他 、マヌカン3名も連れた一行だったが、日本各地でのスケジュールも終えて、羽田空港に盛大なる見送り。全員に記念の花束贈呈で「ニコニコ、バイバイ、よいご旅行を」まだ飛行機旅行なんて夢みたいな頃だった。送迎テラスで見送ったが、ふと足元をみると、そーっと目立たぬように片隅の梯子階段の下に先程贈ったばかりの花束がずらりと置かれていた。植物検疫で荷物になって困るのだろうかと思っていたが、あれも秋で高価な菊の花束の贈り物だったが、これから飛行機に乗る前に菊の花を押しつけられて変な気分、パリに来て分かったのだった。
 作家のピエール・ロチは1885年の日本旅行記、「秋の日本」で鹿鳴館や観菊御宴にも招かれ、蓮の花、菊の花をエキゾチックなものとして書き、ジャポニズムの推進者となっているが、どうもお墓花となったのは1919年頃かららしい。

2006年11月6日 赤木 曠児郎  
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