5月31日(水)午後7:00~7:56
凪(な)がんシケはない~豊島42年の闘い~
瀬戸内海に浮かぶ香川県の豊島。全国最悪の産廃不法投棄に「元の島を返せ」と島民が島挙げて闘ってきた。28.5ヘクタールの原状回復へ、今年3月には産廃の島外撤去がようやく完了した。1990年の事件発覚から27年、発端からいえば42年に上る。
「平成の鬼平」と呼ばれることになる元日弁連会長の中坊公平さんが「子孫のためどこまでおやりに?」と問いかけ、島民が約束した闘い。産廃がらみでは初の国の公害調停を申請、「県の責任と原状回復」を求めた。150日間にわたる香川県庁前での立ちっぱなしや百ヶ所座談会など、あの手この手の「草の根の闘い」を展開、産廃撤去を取り付けた。
島の広報役・安岐正三さんは産廃現場下の磯のカキからダイオキシンが検出され、家業のハマチ養殖を廃業する。「無念という言葉では言い表せん」と安岐さん。それでも闘いを続けた。「やまん雨はない、凪がんシケはない」の家訓、産廃撤去を見届ける。この春、最終の産廃運搬船の出航を見送る島民たち、その心中は。公害調停の申請人549人のうち320人が亡くなっていた。
「ほしいから、金が…」と揶揄した真鍋武紀元香川県知事の証言も生々しい。
当番組を担当したのは、ジャーナリストの曽根英二。事件発覚半年前から記者として、また大学教員として27年間にわたり豊島を見守り続けてきた。豊島事件の意味合いや当事者たちの万感の思いを伝える。
写真= 中坊さんの写真を手に最終の産廃運搬船を見送る安岐正三さん
産廃撤去を終えた投棄現場