「宣戦布告」
家に籠り、最低の外出だけに抑えられ、握手も禁止となり、他人とは1メートルの距離を置くことが強要されるとなると、テレビか読書ということになる。第一次世界大戦時には、ドイツ軍がパリ近郊のマルヌ河まで攻めてきて、パリ市民も後方医療関係などに動員されて反撃に携わった。文学作品などに沢山残されている状態に似ているなと思うし、第二次大戦のドイツ占領下のパリは少し今回とは違うが、新聞などの見出しの辞書をひくと軍隊用語である。(何で日本では横文字のカタカナ語を使いたがるのだろう)。1870年の普仏戦争下のパリ籠城記録を取りだすと、動物園の動物やネズミまで食べたパリ・コミューン下の歴史も出て来るが、今回はそんな心配はなさそうである。丁度2月に出版され、日本で買って来て読もうと思っていた、広瀬隆「日本近現代史」集英社文庫600ページ、サブタイトル(黒い人脈と金脈)を読むのに絶好のチャンスと取り組んでいる。紳士録、興信録を駆使して、全部実名入りで書かれている現代史が文庫版になったのである。この辺りは大学受験にはあまり出ないし、現代では個人情報に触れますと言われそうなことが並んでいて目を見開かせてくれ、みなが知ってはいなければならないことばかりである。終わりの半分は自分も生きていた時代で、軍部が戦争物資にすべてを徴発して押さえ、国民が配給切符で飢えていた時代、つい70年ほど前に、憲兵隊が跋扈し、隣組や配給分配と見ていたことである。コロナ戦宣戦布告のパリで、こんな酷いことにはならないようにと、願うばかりである。
2020年4月7日 赤木 曠児郎
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