「ノートルダム炎上余話」
今から30年も前、スイスの出版社から「パリのノートルダム寺院を描いた画家たち」という画集が出版され、日本人では、梅原龍三郎、井上覚造、レオナルド藤田嗣治(元日本人)、それに赤木曠児郎の4人が選ばれ、私の作品はカルナヴァレ美術館の素描原画とそれから描いた油彩ノートルダム寺院だった。15世紀からピカソやビュッフェの現代までの幅広く集められている画集だが、その縁でフランスのある修道会を通じて赤い線の油彩画の作品は、1991年11月ローマに持参してジャンポール二世法王に拝謁、献納された。後日パリのバチカン大使にご報告、ご挨拶した折に、「それは気を付けないと、世界中から沢山の奉納品があるので、何処にどうなるか分かりません。出来ればバチカン美術館にあるように、注意しておきましょう」と言って下さったのだった。 以来、気になっていたので、ローマに行く機会があるとバチカン美術館の入場チケットを無理して予約して入手していた。現代はふらりと美術館に行きチケットを買って入って、絵の鑑賞を気の向くままという時代ではないので仕方ない。観光公害が問題になるほどで、有名地は何処に行ってもチケット売り場や、時間割入場制の長蛇の列、入っても人間の波に乗ってずるずると押し流され、部屋から部屋を歩いている内に、出入り口に押し出されるのが普通。現代美術の部屋に到着しても、ユトリロやビュッフェは展示されているが、場所が限られているから展示もされていない。ミケランジェロやラファエロの大作が沢山ある大美術館に、日本人のわたくしの作品が何処にあるのでしょうと、みっともなくて聞きに行けたものでも無い。アカギの絵があると言うから日本から訪ねて見に行ってくださる方もあって、まるでこちらが大ボラ吹きの嘘つきみたいな、肩身の狭い思いの30年間だったのである。何処にどうなっているのだろう、美術館の倉庫には沢山の陳列出来ない、場所が無くて埋もれた作品が、何万点と眠っているのだからと諦めていた。
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