ブールドン大通りにて
(サン・マルタン運河の水門)
「ヒップライン大博覧会」
パリにいても、3・11が種の催しの多いのにも、少しうんざりである。何の関係あるのと思うようなものが多いのである。それで、その時期、スペイン南部のアンダルシャ地方、セビリアに機会があり、旅行してきた。日西友好400周年なのだそうで、いろいろな記念行事が今年はスぺインで多い。慶長の昔、仙台の支倉常長が、セビリア近郊出身の神父に連れられ、案内されてローマまで行く途中、スペインに辿り着いたのが1614年で、それが理由らしい。当時太平洋を仙台からメキシコまで船で横断、パナマ山峡を越えて、今度はまた大西洋を横断、スペインの港に着く。命からがら港に入ると、船を修理したり、次の便船、気候や風向きの変わるを、何か月もまた待っての旅だから、飛行機で一寸の時代ではない。スペインまで着いた時にはもう沢山だと50名以上いた半分が旅行拒否、船待ち中にセニョリータと恋仲になり現地にとどまった。その一族の姓にハポン(日本)とついて、今でも250人以上いる村が、セビリア郊外にある。地中海からセビリアに向かい遡る河沿いのコリアの町で、一行がここで上陸して過ごした。結婚すると名前が変わるから、全体では600人位のハポンさんがこの地方に居て、ヨーロッパ人には珍しい蒙古斑まであり、日本人の子孫だと名乗っている。何年か前にミス・スペインのハポンさんが誕生して、有名になった。セビリアの理髪師で出てくるセビリアの町は、3度目の訪問だったが、カルメンのオペラの舞台のタバコ工場や、モリエールのドンファンの芝居のモデルにもなった大貴族が建てていた大きな慈善病院とか、何よりスペイン王に富をもたらせたコロンブスの巨大なお墓、旅は発見と、楽しいものである。
2014年4月11日 赤木 曠児郎
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