卵籠 - (I)
「日本を仕事で巡って来た」
水戸の町、全てが日常通りと言うわけには行かないが、皆が暮らしているのである。文化施設は地震で破損したり、すべて休館中であったりと、相当にあちこちが傷んでいる。表通りの商店もシャッターを降ろしたままの所や、駅舎屋、道路のひび割れ修理中も目立つが、飲食店街は一早く開いている。普通通りに、催しや観光客、早く人々が帰ってきて欲しいのである。まだ日に数度は地震があり、震度5くらいにも出会うが、もう余り驚かない。早朝の散歩で座ってスケッチをしていてグラグラと揺れがあっても、通学中の子供たちも気が付かないように、側を歩いて校門に入って行く。以前なら大騒ぎだったのだろうが、もう慣れっこ。人々が普通に集まり、普通の消費をしてくれるのが、この町に暮らす人々への一番の応援、勇気付けなのである。普段が早く戻り、人々が話し合うことの大切さを考えて、やって来たのだった。ビルの構造は安全とは言え、震度5の揺れが起きれば、みんな即座に非常態勢に入り、そして揺れが去るとまた営業では、平時の物の売り買いの気分では勿論ない。共感の時間が同じ場所にたまたま居合わせることが、気持ちのゆとりを生み出す、そんなの出会いの一週間だった。それが芸術の役割でもあるのではないだろうか。
核汚染もマスコミでの話題ではあるが、普通に暮らす人には、日常が大切であまり気にしてもいられない。パリに暮らしていて、ロシアのチェルノブイリ核爆発事故の時も、汚染雲がパリ上空を通過といっても普通に暮らし、普通に食べていた。日本から沢山の心配の連絡があったり、沢山の日本人がヨーロッパ旅行を中止したりキャンセルした。都市郊外の移民家族若者の暴動が激発したという報道の時も、フランス全体がそのように思われて、日本からの旅行者のキャンセルが続発、パリは何の関係もなく平穏なのにと、むしろ不思議だった。旅行、観光産業はそんなものなので、すぐ影響を受け半年くらい続く、もともと水商売と分類される。
page2/3