「夏時間」
もう、どんどん日照時間が長くなって、マロニエや街路樹の若芽が吹き、日に日に大きくなるので、枯れ枝を入れて冬の間に描きかけの絵に、形をつけないと、天の岩戸に隠れるみたいに、若葉の影に入って建物が見えなくなって、景色が変わってしまう。
そして四月は東京の個展会場にいて、みなさんとお目に掛かるので、また描けないから、余計に進めておかないと、翌年回しということになる。出来上がって他人からみれば、たった一点の彩色デッサンなのだが、現場に通ってほぼ一ヶ月間掛かりっきりなのだから、割が悪いなと思うのだけれど、気分は結構集中している。
三十年以上も昔、パリの最晩年二年間の海老原喜之助先生が、不思議な縁で先生の方から、私の(押しかけ)師匠になってくださって、よくお目に掛かることになったのだが、先生は驚くほど外に出掛けられない。折角パリに居られるのですから、あの展覧会、この劇場といっても、あまり興味を示されない。若い私などには勿体ない、もっと色々見られたら良いのに、これが話題ですよ、こんな事が起きてますよと、周りでイライラしたものだが、自分が先生の亡くなられたより、もう四年も歳を取っている今日この頃、一々世の中のことに心を動かされたり、出歩いていては、自分の仕事にならないのがよく分かる。絵描きは、絵を描かねばならない、そんな心境だったのだなと、先生のことを思う。
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