シンポジウムの模様
左:野﨑武左衛門((公財)竜王会館提供)
右:野﨑武吉郎((公財)竜王会館提供)
野﨑浜塩田((公財)竜王会館提供)
ナイカイ塩業株式会社代表取締役社長
野﨑 泰彦 氏
岡山大学大学院講師
東野 将伸 氏
左:塩専売仕法史料((公財)竜王会館提供)
右:新発見の近衛篤麿関係書簡
((公財)竜王会館提供)
シンポジウムの模様
コロナ対策
第5回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化・スポーツ振興財団は4月22日(木)、国造りの根幹をなす「殖産」をテーマにしたシリーズ・シンポジウム「近代岡山の偉人伝 殖産に挑んだ人々」を、岡山市北区の能楽堂ホール「tenjin9」で開いた。
第5回となる今回は「内海に白き輝きを見た男 野﨑武左衛門」と題し、大地主で東洋の塩田王と称された野﨑武左衛門と家業の事績を生成発展させた孫の武吉郎を取り上げた。
岡山県のガイドラインよりも厳しい新型コロナ対策をし、ソーシャルディスタンスを保ちながらの開催となった。
児島郡味野村の農家に生まれた野﨑武左衛門は1827年、順調だった足袋の製造を突然止めて塩づくりに転向。
味野・赤崎浜に塩田48㌶を完成させる。
その後も矢継ぎ早に内海で塩田を造成し、日本一の塩田王となった。
一方で、岡山藩の命により干拓に励み、岡山藩きっての大地主となった。
家督を継いだ孫の武吉郎は業界の取りまとめ役としても活躍し、事業をさらに生成発展させていく。
貴族院議員をも務めた武吉郎は家訓に従い、生涯を通じて塩業に専心。
公益性のあるものに積極的に寄付して人材を育て、困窮する民を救済するなど社会貢献にも励んだ。
シンポジウムではまず、武左衛門から数えて7代目にあたるナイカイ塩業の野﨑泰彦社長が「製塩方法は入浜式から流下式へ、そして膜で海水を沪し分ける膜濃縮法へと近代化してきたが、『新たな事業を興して金儲けをするな』などという武左衛門や武吉郎の遺訓を守って塩づくり一筋で励んでいる」と手堅い経営方針を紹介した。
続いて2年前から約10万点に及ぶ野﨑家の業績史料の調査をしている大阪大学大学院の飯塚一幸教授と岡山大学大学院の東野将伸講師が、幕末期に岡山藩の大庄屋役を務めた武左衛門の功績や、貴族院議員の武吉郎を支えた人脈などについて調査をもとに報告した。
この中で東野講師は「嘉永期以降で武左衛門が製塩事業を通じて岡山藩から多額の藩札を拝借し、幕府の正金(小判など)で返済することにより、岡山藩が江戸や大坂でもすぐ使える幕府正貨を確保するという財政運用を助け、地域での藩札流通を促進する役割を果たすなど、藩の運営にも大きく関わっていたことが分かった。
また、書簡類が大量に残っているので、今後は武左衛門の思想面や政治活動面の分析のほか、海外にも伸びたネットワークを辿ることによって地域史が大きく変わる可能性がある」と地域史の解明に取り組む決意を明らかにした。
続いて、主に武吉郎関係を調べている飯塚教授は「武吉郎は貴族院の多額納税者議員として1890年から16年間国政に携わり、貴族院議長となる近衛篤麿をはじめ、多くの政治家や官僚と親交を結んだが、その人脈の築き方の一端を示す書簡が見つかった。1894年12月11日付の武吉郎宛書簡はまさに、近衛篤麿との交流を示すものだが、こうして培った幅広い人脈は、野﨑の台湾進出などの野﨑家の事業や岡山県の地域振興にも遺憾なく発揮された。武吉郎の政治・経済活動が著名な漢学者三島中洲や彼の門人、歴代の岡山県知事などとの太い岡山人脈に支えられていた点も見逃せない。中央政界とのつながりなど様々なことが分かりつつある」と今後の研究に期待を抱かせた。
なお、新型コロナ感染症への対策のためシンポジウムへの参加者数を制限をせざるを得なかったため、今回もYouTubeでの動画配信を行った。
左:馬越恭平(サッポロビール(株)提供)
右:米井源治郎((株)ヨネイ提供)
次回の殖産シンポジウムは令和3年6月17日(木)。
「大衆文化を変えた男」と題し、時の内閣を動かしてビール3社の大合同合併を実現し、大日本麦酒を設立して東洋のビール王と称された馬越恭平と、三菱財閥と組んで麒麟麦酒を設立し、馬越にビール戦争を挑んだ米井源治郎を取り上げる。