シンポジウムの模様
左:磯崎眠亀(岡山県立博物館蔵)
右:川村貞次郎((公財)三井文庫蔵)
岡山商科大学非常勤講師
吉原 睦 氏
高千穂大学教授
大島 久幸 氏
シンポジウムの模様
新型コロナ対策
第3回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化・スポーツ振興財団は12月10日(木)、国造りの根幹をなす「殖産」をテーマにした「シリーズ・シンポジウム『近代岡山の偉人伝 殖産に挑んだ人々』」を、岡山市北区の能楽堂ホール「tenjin9」で開いた。第3回となる今回は「匠・明治の気骨」と題して、技術と気概で時代を切り拓いた2人、世界に冠たる花莚「錦莞莚」をつくり上げた磯崎眠亀と三井造船の礎を築いた川村貞次郎を取り上げた。
岡山県のガイドラインに準じた新型コロナ感染症対策をし、ソーシャルディスタンスを保ちながらの開催となった。
倉敷市茶屋町に生まれた磯崎眠亀。時間と資産のすべてをかけて、精巧緻密な花莚の製作に挑む。織機の発明から染色方法の考案・開発まで大きな試練を乗り越え、1878(明治11)年やっとの思いで世界に誇る花莚[錦莞(きんかん)莚(えん)]を生み出すことに成功した。錦莞莚は日本の花莚産業を海外に通用する重要輸出産業へと成長させた。
造船の必要性を確信した川村貞次郎は1917(大正6)年初め、時期を逃さぬよう三井物産本社の承認を待たず、玉野市宇野に川村造船所を建設。造船を始めてしまった。この造船所は後に三井造船に発展していくが、川村は三井に海運事業をもたらしたばかりでなく、海事仲裁を行う海運事業所や船員養成所なども設立。「開運日本」への道を開いた。
シンポジウムでは、錦莞莚研究の第一人者で、岡山商科大学非常勤講師の吉原睦さんが「複雑でカラフルな模様を自由に表現できる画期的な製織技術を生み出した眠亀だが、錦莞莚が高級なものであるがゆえに値段が高くなり、販売面でも大変な苦労をした。人を頼って海外に販路を求めた結果、これが成功し、錦莞莚は日本の重要な輸出産業となって近代化に貢献した。また、眠亀は技術を守ることにも奔走し、日本の特許制度を強化することにも大きく貢献した」と、踏み込んで解説した。
一方、海運史や商社の経営史を専門とする高千穂大学の大島久幸教授は、「川村は会社に対して、相当以前から論文や陳情書を提出し、造船の必要性を説いていた。川村が三井本社の承認を得ず、いわば強引に造船所を建設できたのは、益田孝ら最高幹部の内諾を得ていたことも大きかった。商社という企業の中ではモノを造る部門(造船・海運)はマイナーだったが、川村が血の滲む思いで自分の矜持を守り通した結果が三井造船(現三井E&Sホールディングス)に発展しているし、業界の取りまとめ役としての活躍が海運全体の生成発展に繋がっている」と高く評価した。
なお、新型コロナ対策によりシンポジウムへの参加数制限をせざるを得なかったため、今回もYouTubeでの動画配信を行った。
左:渾大防益三郎((公財)竜王会館蔵)
右:大原孝四郎((公財)有隣会蔵)
次回の殖産シンポジウムは令和3年2月18日(木)。「時代を紡いだ先哲」と題し、日本初の民間紡績・下村紡績所を創設した渾大防益三郎と、倉敷紡績を創設し、「繊維のまち・倉敷」の礎を築いた大原孝四郎を取り上げる。