会場の模様
松陰神社宝物殿至誠館 館長
樋口 尚樹 氏
藤田美術館 館長
藤田 清 氏
シンポジウムの模様
第2回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化・スポーツ振興財団は10月22日(木)、国造りの根幹をなす「殖産」をテーマにした「シリーズ・シンポジウム『近代岡山の偉人伝 殖産に挑んだ人々』」を、岡山市北区の能楽堂ホール「tenjin9」で開いた。今回は「海と山を変えた男 藤田傳三郎」と題して、児島湾干拓や柵原鉱山、山陽鉄道を手掛けた藤田傳三郎を取りあげた。
岡山県のガイドラインに準じた新型コロナ対策をし、ソーシャルディスタンスを保ちながらの開催となった。
長州・萩に生まれた藤田傳三郎。大阪に出て、軍靴製造、軍需品や人夫を調達する用達業を興したのをはじめ、鉄道、紡績、電気、新聞など、近代化を象徴する日本の基盤事業を次々に起業。一代で藤田財閥をつくり上げ、関西財界に重きをなした。
シンポジウムでは、萩市の松陰神社宝物殿至誠館の樋口尚樹館長が「傳三郎は日本国土の開墾を幅広く行った。特に、鉱山開発と干拓には『生涯の基業』として他の事業を差し置いてでも全力で取り組んだ」と前置きし、「秋田県の小坂鉱山を銀と銅の生産で日本有数の鉱山に成長させる一方、国も県も手を出さない児島湾干拓を手掛け、旧長洲藩主の毛利家から莫大な借金をしてまで、不屈の信念をもって『泥の海』での難事業を成し遂げた」と高く評価した。
また、傳三郎から数えて5代目にあたる藤田美術館の藤田清館長は、傳三郎の美術品収集の動機について「明治維新後の廃仏毀釈の影響により、傳三郎は歴史的美術品が海外に流出していくことに危機感を覚え、日本人のアイデンティティーを守ろうと美術品を買い集めた。美術品の好みは持たず、出たものを買ったようだ」と明かした。そして、傳三郎が数十年前から欲しがっていた国の重要文化財「交趾大亀香合」や国宝「曜変天目茶碗」にまつわるエピソードを披露。文化面での役割を解説した。
なお、コロナ対策によりシンポジウム参加者数を制限したため、今回もYouTubeでの動画配信を行った。
新型コロナ対策
左:藤田傳三郎(DOWAホールディングス蔵)
右:児島湾干拓工事(岡山県立興陽高校蔵)
左:磯崎眠亀(岡山県立博物館蔵)
右:川村貞次郎(三井文庫蔵)
次回の殖産シンポジウムは12月10日(木)。「匠・明治の気骨」と題し、世界に冠たる花莚「錦莞莚」を発明・開発した磯崎眠亀と、三井造船の造船事業に道をつけ、「海運日本」の礎を築いた川村貞次郎を取り上げる。