三木行治
会場の模様
小松原 貢 氏
黒住 宗晴 氏
阪本 文雄 氏
第8回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化財団は2月6日(木)、岡山ゆかりの福祉分野の先駆者の足跡をたどり、その生涯と功績を議論・紹介するシリーズ・シンポジウム「慈愛と福祉の先駆者たち」の第8回、最終回となる「私なき献身 福祉県を築きあげた三木行治」を開いた。会場の岡山市北区の山陽新聞社さん太ホールは歴史愛好家や福祉関係者らで満席。約30人がロビーでモニターで視聴した。
岡山市畑鮎に生まれた三木行治(1903~1964)。若くして両親と死別。新聞配達をするなどして少年期を過ごした。岡山医科大学などを卒業して厚生省(現厚生労働省)に入り、公衆衛生局長の時に地元から請われて知事に転身。「産業と教育と衛生の岡山県」を掲げ、がん撲滅運動や社会的弱者の救済、さらに障害者総合医療福祉施設の開設など、医療と福祉を一体とした行政を進めていく。また開眼運動を提唱し、全国に先駆けてアイバンクを設立。検眼登録の第1号になり、三木の死後2人の若い女性に三木の角膜が移植された。一方、産業面では倉敷市の水島にコンビナートを造成し、農業県から工業県への脱皮を図った。
三木は1964年志半ばで急逝したが、その20日前、アジアのノーベル賞といわれるラモン・マグサイサイ賞を受賞。この副賞を基に現在も記念事業が行われている。
シンポジウムではまず、岡山映像ライブラリーセンターの小松原貢さんが1959年からセンターに残されている選挙活動や川崎製鉄(現JFEスチール)の水島への立地調印式など、三木関連の映像を当時の情勢を交えて解説した。
続いて三木の政策や活動を民間から支えてきた黒住教の黒住宗晴名誉教主が「三木は桃太郎知事と呼ばれて県民に親しまれ、県民と一体となって日々を積み重ねていた。ある日、黒住教青年部の会合に突然現れ『人の悲しみに敏感になり、人の苦しみを少しでも和らげる人間であってほしい』と訓示された。これには皆がたいへん感激し、重症心身障害児施設の開設運動に本格的に取り組む原動力になった」と秘話を披露した。
また、新聞記者として三木の採った政策を検証してきた山陽新聞社の阪本文雄監査役は、障害者の総合医療福祉施設「旭川荘」を開設した川崎祐宜初代理事長らとの友情秘話を明かしたうえで、「今でこそ『医療福祉』という言葉があるくらい医療と福祉の一体化は当り前だが、三木は制度や仕組みが異なる医療分野と福祉分野の長所をそれぞれピックアップして融合させる新たな行政を進め、大きな成果をあげた」とその行政手腕を高く評価した。
[左]片山儀太郎(岡山古写真DB委員会提供)
[右]山羽虎夫(岡山県立博物館提供)
シンポジウム「慈愛と福祉の先駆者たち」は2018年6月から8回にわたって、明治以降の児童福祉や貧困対策、廃娼運動、障害者福祉などに挺身した岡山ゆかりの先人たちを取り上げてきましたが、このシリーズは今回でいったん終了し、次回からは「近代岡山の偉人伝 殖産に挑んだ人々」と題して、産業経済の分野で日本の近代化をリードした岡山ゆかりの先人たちを取りあげます。
第1回は8月中旬。「明治の才覚たち」と題し、日本で初めて自動車を作った山羽虎夫と、これも日本初のテーマパーク「亜公園」を岡山市北区天神町に開設した片山儀太郎について討論・紹介します。会場は、RSK山陽放送が岡山市北区天神町に建設中の新社屋、RSKイノベイティブ・メディアセンターです。
開催日時や応募方法など「殖産シンポジウム」の開催概要は4月中旬お知らせします。ご参加をお願いします。