アダムス
会場の模様
ノートルダム清心女子大学教授
杉山 博昭
社会福祉法人岡山博愛会理事長
更井 哲夫
花畑尋常小学校の授業
小学校に併設された風呂
後に、施し風呂として地域に広がる
花畑施療所での外科治療
第6回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化財団は9月4日(水)、岡山ゆかりの福祉分野の先駆者の足跡をたどり、その生涯と功績を議論紹介するシリーズ・シンポジウム「慈愛と福祉の先駆者たち」の第6回「アダムス 岡山での宣教と人民救済」を開いた。会場の岡山市北区の山陽新聞社さん太ホールは福祉関係者らで満席になった。
宣教師の派遣団体、アメリカン・ボードの宣教師として1891(明治24)年、岡山に赴任したA.P.アダムス(1866-1937)は、伝道活動のなかで貧困に苦しむ多くの人たちを目にし、5年後、自分も住む花畑と呼ばれていた岡山市街地東部地域に貧困児童のための私立花畑尋常小学校を開設。続いて施療所や幼稚園、裁縫夜学校などを設立し、キリスト教精神を基礎としたセツルメント、生活困窮者やその子どもたちの生活援助・改善と自立、施療を行った。後に博愛会施療院、岡山博愛会病院として発展していく。
また、久米南町出身の片山潜は1897年、東京の神田に「キングスレー館」を建設。セツルメント活動の拠点とした。さらに石井十次や山室軍平もセツルメント活動に力を尽すなど、現在の社会福祉の基本的事業を先取り実践した。
シンポジウムでは初めに、ノートルダム清心女子大学の杉山博昭教授は、貧窮者に対する総合的な地域生活支援、いわゆるセツルメントを、日本で初めて実施したのは誰かという論争があることにふれ、「アダムスの取組みは形式からみても生活援助から教育、医療、職業実習まで総合的なもので、アダムスが日本で初めてセツルメントを手掛けたと断定できる」と結論づけた。そして、アダムスと同時代に岡山孤児院を運営した石井十次や山室軍平らもセツルメントを手掛けたと指摘し、「地域福祉を考えるうえで、岡山の地にヒントがある」と語った。
また、アダムスの後継者としてアダムスから指名された更井良夫の長男で、社会福祉法人岡山博愛会の更井哲夫理事長は「博愛会で必要なお金を稼ぐため禁止されている英語教室のアルバイトをしていた」などの逸話を紹介。「自ら看護学校に通い看護師の資格を取ったのも、すべての人を愛する神の愛の実践だった」と強調した。
田渕藤太郎と三宅精一
次回のシンポジウムは2019年11月27日(水)。
「地域共生社会を夢見た人々」と題して、養老院を開設するなど高齢者の救済に取組んだ田渕藤太郎と点字ブロックを開発し障害者のバリアフリーを推進した三宅精一の生涯と思想、そして先駆的意義をテーマに岡山市北区の山陽新聞社さん太ホールで開催する。