会場の模様
シンポジウムの模様
国士舘大学教授
阿部 武司
大原記念労働科学研究所所長
酒井 一博
第2回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化財団は9月21日(金)、岡山ゆかりの福祉分野の先駆者の足跡をたどり、その生涯と功績を議論紹介するシンポジウム「慈愛と福祉の先駆者たち」の第2回、「下駄と靴をはいた経営者 大原孫三郎」を開いた。会場の山陽新聞社さん太ホールは市民や福祉関係者らで満席となった。
旧倉敷村に生まれた大原孫三郎(1880-1943)。東京専門学校(現早稲田大学)の在学中に足尾銅山の鉱害地区を視察して企業の社会的責任を痛感。帰郷後は孤児たちの父となる石井十次に接して岡山孤児院を援助し、大原奨学会を通じて多くの若者の学資を支援するなど社会事業に奔走した。
1904年家督を継いだ孫三郎は、工場労働者の福祉の向上に努めるとともに、労働問題を科学的側面から解決する倉敷労働科学研究所などを創設。また、町民と倉紡従業員の健康増進のための倉紡中央病院(現倉敷中央病院)や、児島虎次郎が収集した絵画を陳列する大原美術館を開設するなど文化都市倉敷の礎を築いた。
その一方で、倉敷紡績、倉敷絹織(現クラレ)、中国銀行などを経営。産業の振興に尽くし、関西財界に重きをなした。
シンポジウムではまず、岡山映像ライブラリーセンターが所蔵する孫三郎のドキュメンタリーフィルム(撮影:倉紡活動写真部)を上映。続いて、大原孫三郎の研究書を出版した国士舘大学の阿部武司教授(近代日本経済史、経営史)は、心をひとつにして力を合わせるという意味の『同心戮力(どうしんりくりょく)』を経営理念に掲げて企業経営にあたっていたことを説明。「元大原奨学会奨学生らがいわば里帰りし、金融恐慌の後失意の底にあった孫三郎を支えて次々に事業を成し遂げていった」と経営の核心について明かした。
また、孫三郎が科学的に労働問題を解決するために創設した倉敷労働科学研究所を起源とする大原記念労働科学研究所(東京渋谷区)の酒井一博所長は、孫三郎初と代所長の暉峻義等(てるおかぎとう)が深夜にお忍びで、紡績工場で働く女性工員たちの実態を視察し、胸を熱くして改革に取り組んだというエピソードなどを紹介。「現場観察」を通じて法律で深夜労働などを規制するための「社会変革の眼」「世間が納得する根拠を示した」と研究の意義を強調した。