「顔面を半分覆っての外出は罰金150ユーロ?」

コロナ感染防止を理由に、いろいろな規制が考えられ、発表される。「あーしなければいけない」「こーしてはいけない」、確かにそうなのだが、命令を出すのを楽しんでいるような、気がする。守る、守らないは、大人の常識の判断に任せるのが、成熟した大人社会だと信じている。大政翼賛会や、隣組監視時代の日本、ナチスに走ったドイツ社会、上からの規制で監視、そんなものが否定されて、自由、民主主義が暮らしだったのに、コロナ対策、テロ対策、規制を作っての強制が風潮に出始めている。お上や周囲に同調、大人しく従うのが日本の気風らしいが、フランスは自分個人の意志を守り、主張する気風が強いから、偉いと感じて暮らしている。最近の笑い話、今は外に出る時、仕事先など、マスクをつけるのが義務になり、着けていないと罰金135ユーロである。つい先頃まではイスラム教徒のベール問題があって、顔の半分を覆って外出することは不安を与え、社会風紀上禁止で顔は明瞭にしておかねばならず、違反の罰金は150ユーロであった。日本人旅行団などが冬に防寒マスクなどして現れると、何者の集団だと気味悪がられ、みなも体裁が悪いから飛行機から出ると自然はずしたものである。役人が適用を厳密にしないから良いのであるが、どちらも規制は規制として残っている。現在はコロナで、マスクの方が良いので、そちらが生きているのだろう。それが寛容な社会というので暮し良いが、政治が対策や規制を、強く言い立てると暮らし難い社会になり、碌なことにはならないと思う。

2020年10月10日 赤木 曠児郎

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