パリ大学都市日本館(青)
パリ大学都市日本館(青)
 

「またシーズンが始まった」

 ささやかながら、「視点の交差、一世紀半」として紹介された、パリの画廊主催の自分関連の展覧会も、パリ9区役所ホールで開かれ、3週間でもう終わる。後10月末まで、第二会場のモンパルナッスに出来た新設ブルターニュ会館でも、一部分だけは続いている。私の仕事とマチュラン・メオという、19世紀生まれで、藤田嗣治がパリに始めて勉強に来た1913年に、コンクールで優勝、世界一周の奨学金を獲得、1914年に極東の日本まで来て、半年滞在したところで第一次大戦が始まり、動員されて帰国、当時の眩しいようなシンデレラボーイだった作家である。1958年までイラストレーターや、装飾美術、大学の先生として指導していて、以後日本に来ることはなかったが、1920年代にはデッサンをもとに日本をテーマとして制作をして、フランス人の間では、比較的名前が良く知られていた人だが、日本には未知の作家で、私も今回始めて知ったのだった。明治百年に当たる頃から45年間もパリをテーマに制作続ける私と、百年も前に日本をテーマにしたブルターニュ出身のフランス人画家、この視点の交差をテーマに企画がされたのだった。お互いにあまり世界的な知名度のない日仏二作家の、時間を軸に150年位しか歴史のない、日本の西洋画の歴史を浮かび上がらせる、画廊のアイディアがフレッシュで、今年のテーマにぴったり、着眼に感心する人が多かったのである。午後はパリの舗道でデッサンに通うので、そこで知り合って、いつか展覧会を開くからと、路上で約束していたパリジャンを中心に招いたが、オープニングパーティには、270名ばかりで集まって、ホールにあふれ、提供してくださった宝酒造の日本酒を、物珍しげに生まれて始めてだと、恐々と口にする市民が多かったのである。

2008年10月7日 赤木 曠児郎  
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