グラン・パレを望んでパリ風景
 

「12月の季節」

 今年は15年近く補修工事のため閉めていたシャンゼリーゼ公園にあるグランパレ会場が、催し物会場のために再開され、再び美術団体公募展がパリの中心部に帰って来た。といっても以前のように1団体で2ヵ月間も続くというご時世でもなく、世界の団体美術展の元祖で、1663年が起源の350年近い「ル・サロン」フランス芸術家協会展から、第二次世界大戦後誕生のサロン・ド・メやコンパレゾン展など、30幾つの有力美術団体が現在フランス文化省に認められ、助成金を受け取り維持されるが、管理もされる訳。国所有グランパレ修復再開に当たって、この二年間は文化省、各団体のエゴ、利害の話合いで揉め抜いたのである。文化省の言い分は、入場者数の現況から考えて、数団体合同で、10日間単位くらいが適性規模、出品者は一人1団体に限り、作家の複数の掛け持ちは会発足の歴史から考えておかしいと、もっともな理論。各人の自由であったから掛け持ちが普通で、6〜7団体の会員兼任、プロは毎回どこでも常連が顔を合わせる日常で、団体が存続されて来たのだから、どこか1つにとなると人材不足、 会の作品レベル維持の問題にもなってくるのである。政府言い分を満たせば助成金の配分を出しましょうという訳で、各団体の経済上の存続の危機にもかかわる。
 サロン・ドートンヌのみは、政府の干渉御免と飛び出し、生きの良いところを見せたため場末の郊外ホールで今週から開くが、とにかく文化省管理組は「アール・キャピタル」(美術首都)の名前の四団体合同展を11月に10日間グランパレに復活した。私はセザンヌやマネが生涯熱望して得ることを願っていた「HC」オール・コンクール(終身無鑑査)のタイトルを世界最古の展覧会ル・サロンで、30年も昔に得ているのだから、当然そこに出した。サロンドートンヌにも、こちらは枠外なので、昨日また出品してきたところである。

2006年12月7日 赤木 曠児郎  
BACK  

page3/3