今週の詩
2025.3.24.~2025.3.29.
『 春の花など f 花の美しいのは 』
永瀬さんは、花を題材にした詩をいろいろ書いています。
この詩では、
なぜ花が美しいと感じるのか、
どういうところに美しさを見出しているのか、
その理由を書いています。
少し抽象的かもしれませんが、花の美しさとは何かという本質に迫った詩です。
永瀬さんは、花の美しさを言おうとしているのに、
「何ものか花でないものから」と花そのものではないと言っています。
ではどこかというと、
「花へ浮かびあがってくるきわが美しいのだ」と、
変化していくある瞬間を捉えて美しいと言っています。
それは生きて命あるものならではのことであり、
その変化を捉える感受性をもつことも含まれています。
永瀬さんは、自分がこのことを書かなければ、
消え去り忘れ去られてしまうという思いを生涯持ち続けていました。
戦前に書いた「私がいなければ何もない」では、
自分がこの世を去れば感じていた思いは消えてしまうことを書き、
最晩年の「時間—私らは忘れやすく」という詩には、
「私らは消えゆく時間を止めるためにのみ詩を書いている」とあります。
「花は咲きそして散る その痛みなしには花でありえない」。
この最後の一行がたまらなく魅力的です。
この詩は、生きること命あるもののすばらしさを書いた詩でもあります。
永瀬さんが詩を選んだのは、そこにとどまらず常に変化していく姿を書きたかったからでした。
そして、永瀬さんは「痛みなしには花でありえない」と全てを受け入れ肯定しています。
こうしたところに、私たちは励まされているのではないでしょうか。
この詩では、
なぜ花が美しいと感じるのか、
どういうところに美しさを見出しているのか、
その理由を書いています。
少し抽象的かもしれませんが、花の美しさとは何かという本質に迫った詩です。
永瀬さんは、花の美しさを言おうとしているのに、
「何ものか花でないものから」と花そのものではないと言っています。
ではどこかというと、
「花へ浮かびあがってくるきわが美しいのだ」と、
変化していくある瞬間を捉えて美しいと言っています。
それは生きて命あるものならではのことであり、
その変化を捉える感受性をもつことも含まれています。
永瀬さんは、自分がこのことを書かなければ、
消え去り忘れ去られてしまうという思いを生涯持ち続けていました。
戦前に書いた「私がいなければ何もない」では、
自分がこの世を去れば感じていた思いは消えてしまうことを書き、
最晩年の「時間—私らは忘れやすく」という詩には、
「私らは消えゆく時間を止めるためにのみ詩を書いている」とあります。
「花は咲きそして散る その痛みなしには花でありえない」。
この最後の一行がたまらなく魅力的です。
この詩は、生きること命あるもののすばらしさを書いた詩でもあります。
永瀬さんが詩を選んだのは、そこにとどまらず常に変化していく姿を書きたかったからでした。
そして、永瀬さんは「痛みなしには花でありえない」と全てを受け入れ肯定しています。
こうしたところに、私たちは励まされているのではないでしょうか。
<文・白根直子>
永瀬清子さん プロフィール

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朗読
- RSKアナウンサー
- 小林 章子
- (こばやしあきこ)
岡山市生まれ。
RSKイブニングニュースで永瀬清子さんをテーマに取材。
2003年 第29回アノンシスト賞・優秀賞「テレビ 実況・フリートーク部門」
2010年 第36回アノンシスト賞・優秀賞「CM部門」
2013年 第39回アノンシスト賞・優秀賞「ラジオ 読み・ナレーション部門」など受賞。
1906年、現在の岡山県赤磐市に生まれました。
1995年、89歳の誕生日に生涯を閉じるまで、生涯現役の詩人を貫いた「現代詩の母」です。
多感な時期を金沢・名古屋で、結婚して大阪・東京で暮らし、1945年に夫の転勤で岡山市に帰りました。
戦後、現在の岡山県赤磐市松木で農業に従事しながら詩を書き、詩の雑誌「黄薔薇」を創刊。
岡山県詩人協会の初代会長も務め、後に続く詩人を育てました。
また、ハンセン病の入所者とともに詩を書き、選挙により豊田村の教育委員、岡山家庭裁判所の調停委員、世界連邦運動に参加、近代岡山の女性史研究を行うなど幅広い活動も知られています。