会場の模様
日本女子大学教授福田 安典
日本大学非常勤講師土井 康弘
香川県立ミュージアム前学芸員
松岡 明子
第9回シンポジウム実施報告
公益財団法人山陽放送学術文化財団は12月4日(月)、特別編として、香川が生んだマルチ人間・平賀源内をテーマに、シンポジウム「岡山蘭学の群像9 江戸のエレキテル・マン 平賀源内」を、岡山市北区の山陽新聞社さん太ホールで開いた。会場は大勢の歴史ファンで埋まった。
平賀源内(1728~1779)は、長崎や江戸で学んだ後、全国の特産品を集めた日本初の博覧会を開催。図の豊富な本草学書「物類品隲」を刊行し世の注目を集める。その後「風来山人」と名乗り、浄瑠璃や江戸戯作の執筆を行ったほか、鉱山開発、毛織物生産、輸出用の陶器製作など様々な事業を手掛けた。また静電気発生装置「エレキテル」や「燃えない布・火浣布」、万歩計など多数の発明品を生んだ。一方で画才も発揮。油絵を習得して「西洋婦人図」を描き、鈴木春信の浮世絵革命や小野田直武らの秋田蘭画に影響を与えた。
シンポジウムではまず、日本女子大学の福田安典教授が「江戸のエレキテル・マン 平賀源内」と題して基調講演。源内が岡山藩出身で、大坂で医院を開業していた戸田旭山に入門し、「2人の知性がうまく融合して源内の才能も開花した」と話した。
続いて、日本大学非常勤講師の土井康弘さんは「本草学から世界を見た男 源内」と題して講演。「さまざまな分野・事業をてがけた源内の本心は薬草などを研究する本草学者になりたかったのではないか」と思いをよせた。
香川県立ミュージアムの前学芸員・松岡明子さんは、高松藩松平家に伝わる博物図譜(図鑑)と源内が作製した物産図録の類似性などを説明したうえで、「博物図譜にも源内が関わった可能性が高い」と報告した。
最後に講師3人が一緒に登壇。「源内にパトロンはいたのか」「発明品はいくつあったのか」など、会場から出された質問に丁寧に答えていた。
シンポジウム「岡山蘭学の群像」は、鎖国のなかで日本の近代化を牽引してきた岡山ゆかりの蘭学者をテーマに、その業績と最新の研究の成果を紹介するシリーズ・シンポジウム。最終回となる次回は来年2月23日(金)、山陽新聞社さん太ホール(岡山市北区柳町)で開く予定で、「近代日本を拓いた蘭学者たち」と題し、岡山の蘭学の草創期から明治の裾野までの歩みを総括するとともに、津山藩がなぜ優秀な蘭学者を多く輩出したのか、その理由にも迫る。