会場の模様

堺女子短期大学名誉教授淺井 允晶

除痘館記念資料室専門委員古西 義麿

大阪大学医学部医学史料室米田 該典

第3回シンポジウム実施報告

百年先の日本を見据えた男 緒方洪庵

公益財団法人山陽放送学術文化財団は12月3日(木)、岡山日蘭協会の協力を得て、日本の近代医学の祖といわれた緒方洪庵をテーマにしたシンポジウム「岡山蘭学の群像Ⅲ 百年先の日本を見据えた男 緒方洪庵」を岡山市北区の山陽新聞社さん太ホールで開いた。会場は大勢の歴史ファンで満席となった。

緒方洪庵は大坂、江戸、長崎で学んだあと、大坂に適塾を開設。西洋の最新医学を紹介した『扶氏経験遺訓(30巻)』などを翻訳し、蘭学にもとづく実践的な近代医療の拡大に尽くした。そして、古来最も恐れられた致死率の高い天然痘を予防するため、西洋伝来の牛痘種痘を普及させる一方、コレラの大流行時には治療手引書『虎狼痢治準』を緊急出版して医師らに配布。今日の予防医学、公衆衛生につながる先駆的な活動を展開した。

また同時に洪庵はみごとな教育者でもあった。適塾での教育の中心は蘭学の会読。全国から集まった塾生同士の競争も激しく、福沢諭吉は「この上に為しようはないというほどに勉強した」と述懐している。その談論風発の気風が明治維新や近代化の立役者となった福沢諭吉、大村益次郎、橋本佐内、長与専斎、佐野常民らを育てた。

シンポジウムでは、堺女子短大名誉教授で洪庵研究の第一人者・淺井允晶さんが『時代を拓く蘭学者-緒方洪庵』と題して基調講演。この中で淺井さんは、洪庵の号だった「適々斎」の謂れのほか、『扶氏経験遺訓』を訳し、その巻末に「医者に対する戒め」として『扶氏医戒之略=12か条』を著したが、特に『仁』という言葉にこだわった。己を捨て、欲を捨て、ひとを救うのが医者の務めだと説いた。適塾での勉強の中心は、数人が同じ本を読み討論し合う会読だった。習熟度別に9グループに分かれていて、3か月間トップを維持してやっと1段階上がることができる。厳しい競争だった」などと話した。

続いて、『種痘普及と岡山』という演題で講演した橋本まちかど博物館長の古西義麿さんは、洪庵の適塾で種痘などを学び、足守除痘館で天然痘撲滅に尽力した医師たちの活動を紹介した。また、大阪大学医学部医学史料室の米田該典さんは『岡山の適塾生』と題して講演し、「未知の最近・ウイルス病に挑戦した洪庵は次の時代を見据えて教育に励んだ」と古文書をかざしながら学者としての洪庵の業績を浮き彫りにした。

今回は特別に質問コーナーが設定され、「洪庵は最晩年に命を削ってまで奥医師を務めたが断れなかったのか?」「宇田川榕菴や山田方谷といった同年代の岡山人らとの接点はあったのか?」など、多くの質問が出された。

「シンポジウム岡山蘭学の群像」は、鎖国の中で日本の近代化を牽引してきた岡山ゆかりの蘭学者を顕彰し、最新の研究成果を紹介するためシリーズで開いているもの。
第4回は、激動する幕末期の外交や科学技術をリードした蘭学界の大御所・箕作阮甫をテーマに、2016年4月18日(月)山陽新聞社さん太ホールで開催する。 演者は、日本の近世・近代史が専門の明海大学・岩下哲典教授と洋学史・医学史が専門の津山洋学資料館・下山純正元館長のふたり。